サノパスカル止まらねぇー!!!3 02/25-05:24-日々の疾走
さて、
「罪を犯した人間が苦しむ瞬間はどんなときか?」
っという疑問に対して、
今の私は、
「その罪によって傷つけた人間の傷に気付いてしまうとき」
だと私は答えようと思う。
私は、信じてくれた先生を裏切るという行為という大きな罪を犯した。
「私は人間としてどうなんだろう?」
ふと思ったときに、
本当ならば二度とその人の前に居てはいけない気がした。
その先生はいつも生徒のことを考えて奥さん(英語の先生)と
話し合っているようだ。
「誰か一人の生徒に問題が起こると、
そのことについて何時間も睡眠時間を減らしてどうすればいいか考えている。」
そう前に言っていた先生の顔は真剣そのものだった。
すごく生徒一人一人を見ているのがよく伝わってくる。
色んな先生の今までのセリフを思い起こしても、
どんなに私のことを考えてくれていたのだろうと
考える度に胸が刺さって痛かった。
その思いを知りながらも、
「怒られたらいやだなぁ…宿題しなきゃな…」
という気持ち半分で動いていただけで罪ではないか。
その上、最後にもう一度信じてくれた3日後に裏切るなんて…。
先生は今も生徒のことを考えているんだろう。
けど、私のせいで他の人のこれからを相談する機会さえ奪ってたとしたら…
たとえこの考えが単なる私の自惚れだとしても。
先生がもう私を退塾させる決断をさせていても、
先生は、生徒一人を辞めさせる度に、心の中で泣いている人。
どの考えが浮かんでも、私は一人の人を悲しませていることに変わりはなかった。
きっと、先生の苦しみに私が気付かなければ、
私は心が痛まなかった。現に今までそうだった。
先生のこと好きだったけど、ここまで考えたことはなかった。
このことを、「人生の苦難」に対して、考えてみると、
罪人が、罪の重さに気付く瞬間ほど、残酷なものはないだろう。
という結論に達する。
それこそが、自分の背負うべき罪というのだろうか。
ただ、「人生」というのは実に上手くできているとも同時に思った。
罪に関して気付くことができたことで、
その罪に対して、どうすれば私は償えるだろう?」
っと考えることができれば、また道は開けてくるという希望が持てる。
気付いて苦しんでそこで終わってしまうのはもったいない。
そこから新しく道を切り開いて始めて人生の意味は生まれる。
そう思うことができる。正論だと思われるかもしれないが、
めげずに生きていけば可能性はなくならない。
人の人生を生み出したのが神だとすれば、
やはり、神は神だとしか言いようがない…。
人間にこんな希望のルートを残してくれていたなんて。
まずは、そこに感動した。しかし、すぐに空しさにおそわれる。
ハチクロでりかさんが言っていた、
「苦しい思い出さえもいつかは忘れてしまって、
私の中で色あせていく人を思うたびに悲しくなるの。
だから、私が覚えていてあげなくちゃって思うの。」
ずっと私の中に残っているセリフ…。
そう、どんなにうれしくても、どんなに悲しくても、
どんなに苦しくても…いつかその思い出や感情は色褪せてしまう。
それこそが一番儚いことではないだろうか??
今、私が先生の苦しみに気付いても、いつか忘れて、
また同じ罪を犯してしまうのではないだろうか。
たとえ、この塾に居る間、忘れることがなかったとしても、
何十年も生きているうちに、この事実は忘れ去ってしまう。
こうして、考えた果てに流した熱い涙さえも。
自分自身を変えたいと思った意志でさえも…。
「そもそもどうして、私は私を変えたいと思ったんだろう?」
ふと、次の疑問が浮かび上がってくる。
しかし、この疑問に答えるのは簡単だと思った。
「私は今、私が好きでもないが嫌いでもないからだ。」
だから、好きになりたくて、変えたいんだ。
でも、それは今までも思ってきた。自分が好きになりたいから。
でも、自分を好きになりたいのは、自分が好きだからじゃないのか?
いや、でも、好きじゃないんだ、今の私は。
じゃあ、嫌いか?嫌いでもないんだ、今の私でも…どうして??
このとき、ふと思う。
私は自分を嫌いになりきれないんだ。
一層のこと、嫌いになってしまえば楽なのに、
嫌いになりきれないから、好きにならざるを得ないのだ。
じゃあ、どうして、嫌いになりきれないの?????
私の中に、私を好きで居られる何かがまだ残っているからではないか?
でもそれってなに?手?足?心?魂?どの部分?
その瞬間にゆっきぃのチロル事件を思い出した。
それはこの前の先輩の卒業式。
土曜日で、私は単語を覚えるのに必死だった。
その斜め前でゆっきぃは私に(多分)聞こえるように言った。
「うーん、あとチロルが3つあるなぁ。」
私はチロルにピキーンと反応し、目を輝かせる。私がいるよオーラ全開(笑)
そんな私の目線を無視して続ける。
「一つは、草子やろ?もう一つはY子やろ?もう一つは…
うーん…(3秒の間)
(私だよーサノ子だよーここだよー!っと合図)
ぁ、私か!あーそうやったー!(むっちゃニコニコ)」
サノ子
撃沈…。
でもそんなゆっきぃがかわいくて仕方ないので、
チロルへの愛を必死で抑え、すねながらも、
その気持ちを単語へと向けていました。
(ゆっきぃが姉妹ならば、私はどうなっていただろう…!!でも面白そうw)
ここで分かったことは、
人から与えられようと必死になってもらえなかったら、
ただすねて終わるけど、
もし、ただ懸命に努力して欲しいものを得ようと思うなら、
失敗しても、きっとめげずにチロルでもなんでも手にしようとしたのでは
ないだろうか??
つまり、与えてもらおうとしてるか、
自ら得ようとしてるかの差。これはでかい。
そしてこのときにゆっきぃを思い出した後、
ゆっきぃが前交換ノートに書いていた
「我思う 故に我あり」っというパスカルの言葉を思い出した。
このとき、私は、パスカルを知らず、ゆっきぃが人生について、
考えに考えつくした結果、出てきた結論だと勝手に思い込み、
一人で勝手に感動していたのを覚えている。
たった、15歳の少女がここまでのことを考えるのか!と。
(さすがサイボーグw)
実際は、その数日後にパスカルさんを世界史の授業で知り、
なーんだっと笑ってしまったが、それでも、やはり、
この言葉には納得せずにはいられなかった。
そう、この、
「我思う 故に我あり」
今、この瞬間に言えないだろうか?
多少内容は違けど…
私がこんなに真剣に悩んで、思考して、答えを見つけようとしている今、
この状況こそ、私が大学へ向かって勉強している意味なのではなかろうか??
いつも楽天主義な私がこんなに悩むほど、考えてしまうほど、
進みたい道なのではないかと思ったのである。
例えこの先が、管理栄養士やカフェオープンというゴールに直結してなくても、
こうして、人を傷つけるという罪を犯して、そこから
新しく道を開く希望を探して、その過程で人に支えられていることに実感して、
神に生かされていることにも感謝して、
役者の台詞からの教訓、友達からの教訓、偉大な人からの教訓を学んで、
私がこんなに考えていることに改めて気付いた。
それこそが、私が今まで捜し求めていた、
「私の中で信じられる唯一無二のもの」ではないだろうか?
一人一人が違う心を持っている。同じものはない。
私の頭は考える。私の心は感じる。私の体は動き出す。
だからか。
だから、私は自分自身を嫌いになり切れなかったんだ。
こんなに自分を考える自分が私の中に居たから。
私だと確信できるたった一つの心が私のなかに居たから。
だからか。
今まで口だけだったのは。
一番大切な私の気持ちに気付けなかったからだ。
中身が空っぽの言葉でしかなかったんだ。
だからか。
今を大切にしろ!という言葉は、
「今をマイペースに楽に生きろ」という言葉ではなく、
「今、感じたこの瞬間のフィーリングを大切にしろ」
ってことだったんだ。
すべてはここで繋がった。
この気付きはすごく価値のあることだと思った。
人を傷つけてしまったが故に得たものだった。
いままで傷つけてなお、私をもう一度信じてくれた人が
いたから気付いたことだった。
どうすれば…償えるだろうか??
今、思ったことを伝えて、態度で示すこと。これしかない。
私自身が変わることしかない。
私に対して考えていた私を大切にするためにも。
たったこれだけが言いたかったのです。
本当にたったこれだけに気付くために、
神様は私を今日も生かしてくださった。
すごいことだな…
やれるだけやってみようじゃないか!!!
私の精神をかけて。ありがとう先生。
そして、気付かせてくれた沢山の出来事に感謝します。
美依に杏仁ジュースで元気をもらい、
K先生に出会い、
同じ学校の子と励ましあい、
チロルをたぶらかされ、
パスカルに感動し、
今日も私は生かされてる。
今日も精一杯、一日を生きれますように。
「毎日、雨が降ってて当たり前。波が押し寄せて当たり前。
そんな日常が繰り返される中でも、何か1つのきっかけがあれば、
大きな奇跡にだって変わる可能性を持っている。」
「罪を犯した人間が苦しむ瞬間はどんなときか?」
っという疑問に対して、
今の私は、
「その罪によって傷つけた人間の傷に気付いてしまうとき」
だと私は答えようと思う。
私は、信じてくれた先生を裏切るという行為という大きな罪を犯した。
「私は人間としてどうなんだろう?」
ふと思ったときに、
本当ならば二度とその人の前に居てはいけない気がした。
その先生はいつも生徒のことを考えて奥さん(英語の先生)と
話し合っているようだ。
「誰か一人の生徒に問題が起こると、
そのことについて何時間も睡眠時間を減らしてどうすればいいか考えている。」
そう前に言っていた先生の顔は真剣そのものだった。
すごく生徒一人一人を見ているのがよく伝わってくる。
色んな先生の今までのセリフを思い起こしても、
どんなに私のことを考えてくれていたのだろうと
考える度に胸が刺さって痛かった。
その思いを知りながらも、
「怒られたらいやだなぁ…宿題しなきゃな…」
という気持ち半分で動いていただけで罪ではないか。
その上、最後にもう一度信じてくれた3日後に裏切るなんて…。
先生は今も生徒のことを考えているんだろう。
けど、私のせいで他の人のこれからを相談する機会さえ奪ってたとしたら…
たとえこの考えが単なる私の自惚れだとしても。
先生がもう私を退塾させる決断をさせていても、
先生は、生徒一人を辞めさせる度に、心の中で泣いている人。
どの考えが浮かんでも、私は一人の人を悲しませていることに変わりはなかった。
きっと、先生の苦しみに私が気付かなければ、
私は心が痛まなかった。現に今までそうだった。
先生のこと好きだったけど、ここまで考えたことはなかった。
このことを、「人生の苦難」に対して、考えてみると、
罪人が、罪の重さに気付く瞬間ほど、残酷なものはないだろう。
という結論に達する。
それこそが、自分の背負うべき罪というのだろうか。
ただ、「人生」というのは実に上手くできているとも同時に思った。
罪に関して気付くことができたことで、
その罪に対して、どうすれば私は償えるだろう?」
っと考えることができれば、また道は開けてくるという希望が持てる。
気付いて苦しんでそこで終わってしまうのはもったいない。
そこから新しく道を切り開いて始めて人生の意味は生まれる。
そう思うことができる。正論だと思われるかもしれないが、
めげずに生きていけば可能性はなくならない。
人の人生を生み出したのが神だとすれば、
やはり、神は神だとしか言いようがない…。
人間にこんな希望のルートを残してくれていたなんて。
まずは、そこに感動した。しかし、すぐに空しさにおそわれる。
ハチクロでりかさんが言っていた、
「苦しい思い出さえもいつかは忘れてしまって、
私の中で色あせていく人を思うたびに悲しくなるの。
だから、私が覚えていてあげなくちゃって思うの。」
ずっと私の中に残っているセリフ…。
そう、どんなにうれしくても、どんなに悲しくても、
どんなに苦しくても…いつかその思い出や感情は色褪せてしまう。
それこそが一番儚いことではないだろうか??
今、私が先生の苦しみに気付いても、いつか忘れて、
また同じ罪を犯してしまうのではないだろうか。
たとえ、この塾に居る間、忘れることがなかったとしても、
何十年も生きているうちに、この事実は忘れ去ってしまう。
こうして、考えた果てに流した熱い涙さえも。
自分自身を変えたいと思った意志でさえも…。
「そもそもどうして、私は私を変えたいと思ったんだろう?」
ふと、次の疑問が浮かび上がってくる。
しかし、この疑問に答えるのは簡単だと思った。
「私は今、私が好きでもないが嫌いでもないからだ。」
だから、好きになりたくて、変えたいんだ。
でも、それは今までも思ってきた。自分が好きになりたいから。
でも、自分を好きになりたいのは、自分が好きだからじゃないのか?
いや、でも、好きじゃないんだ、今の私は。
じゃあ、嫌いか?嫌いでもないんだ、今の私でも…どうして??
このとき、ふと思う。
私は自分を嫌いになりきれないんだ。
一層のこと、嫌いになってしまえば楽なのに、
嫌いになりきれないから、好きにならざるを得ないのだ。
じゃあ、どうして、嫌いになりきれないの?????
私の中に、私を好きで居られる何かがまだ残っているからではないか?
でもそれってなに?手?足?心?魂?どの部分?
その瞬間にゆっきぃのチロル事件を思い出した。
それはこの前の先輩の卒業式。
土曜日で、私は単語を覚えるのに必死だった。
その斜め前でゆっきぃは私に(多分)聞こえるように言った。
「うーん、あとチロルが3つあるなぁ。」
私はチロルにピキーンと反応し、目を輝かせる。私がいるよオーラ全開(笑)
そんな私の目線を無視して続ける。
「一つは、草子やろ?もう一つはY子やろ?もう一つは…
うーん…(3秒の間)
(私だよーサノ子だよーここだよー!っと合図)
ぁ、私か!あーそうやったー!(むっちゃニコニコ)」
サノ子
撃沈…。
でもそんなゆっきぃがかわいくて仕方ないので、
チロルへの愛を必死で抑え、すねながらも、
その気持ちを単語へと向けていました。
(ゆっきぃが姉妹ならば、私はどうなっていただろう…!!でも面白そうw)
ここで分かったことは、
人から与えられようと必死になってもらえなかったら、
ただすねて終わるけど、
もし、ただ懸命に努力して欲しいものを得ようと思うなら、
失敗しても、きっとめげずにチロルでもなんでも手にしようとしたのでは
ないだろうか??
つまり、与えてもらおうとしてるか、
自ら得ようとしてるかの差。これはでかい。
そしてこのときにゆっきぃを思い出した後、
ゆっきぃが前交換ノートに書いていた
「我思う 故に我あり」っというパスカルの言葉を思い出した。
このとき、私は、パスカルを知らず、ゆっきぃが人生について、
考えに考えつくした結果、出てきた結論だと勝手に思い込み、
一人で勝手に感動していたのを覚えている。
たった、15歳の少女がここまでのことを考えるのか!と。
(さすがサイボーグw)
実際は、その数日後にパスカルさんを世界史の授業で知り、
なーんだっと笑ってしまったが、それでも、やはり、
この言葉には納得せずにはいられなかった。
そう、この、
「我思う 故に我あり」
今、この瞬間に言えないだろうか?
多少内容は違けど…
私がこんなに真剣に悩んで、思考して、答えを見つけようとしている今、
この状況こそ、私が大学へ向かって勉強している意味なのではなかろうか??
いつも楽天主義な私がこんなに悩むほど、考えてしまうほど、
進みたい道なのではないかと思ったのである。
例えこの先が、管理栄養士やカフェオープンというゴールに直結してなくても、
こうして、人を傷つけるという罪を犯して、そこから
新しく道を開く希望を探して、その過程で人に支えられていることに実感して、
神に生かされていることにも感謝して、
役者の台詞からの教訓、友達からの教訓、偉大な人からの教訓を学んで、
私がこんなに考えていることに改めて気付いた。
それこそが、私が今まで捜し求めていた、
「私の中で信じられる唯一無二のもの」ではないだろうか?
一人一人が違う心を持っている。同じものはない。
私の頭は考える。私の心は感じる。私の体は動き出す。
だからか。
だから、私は自分自身を嫌いになり切れなかったんだ。
こんなに自分を考える自分が私の中に居たから。
私だと確信できるたった一つの心が私のなかに居たから。
だからか。
今まで口だけだったのは。
一番大切な私の気持ちに気付けなかったからだ。
中身が空っぽの言葉でしかなかったんだ。
だからか。
今を大切にしろ!という言葉は、
「今をマイペースに楽に生きろ」という言葉ではなく、
「今、感じたこの瞬間のフィーリングを大切にしろ」
ってことだったんだ。
すべてはここで繋がった。
この気付きはすごく価値のあることだと思った。
人を傷つけてしまったが故に得たものだった。
いままで傷つけてなお、私をもう一度信じてくれた人が
いたから気付いたことだった。
どうすれば…償えるだろうか??
今、思ったことを伝えて、態度で示すこと。これしかない。
私自身が変わることしかない。
私に対して考えていた私を大切にするためにも。
たったこれだけが言いたかったのです。
本当にたったこれだけに気付くために、
神様は私を今日も生かしてくださった。
すごいことだな…
やれるだけやってみようじゃないか!!!
私の精神をかけて。ありがとう先生。
そして、気付かせてくれた沢山の出来事に感謝します。
美依に杏仁ジュースで元気をもらい、
K先生に出会い、
同じ学校の子と励ましあい、
チロルをたぶらかされ、
パスカルに感動し、
今日も私は生かされてる。
今日も精一杯、一日を生きれますように。
「毎日、雨が降ってて当たり前。波が押し寄せて当たり前。
そんな日常が繰り返される中でも、何か1つのきっかけがあれば、
大きな奇跡にだって変わる可能性を持っている。」

